中島崇フィルモグラフィー filmography of Takashi Nakajima

*特に明記がない作品はカラー、サウンド作品 *内容紹介で記名のない文章は作者筆

南岸沿
8ミリ・3分・1971年
映画フィルムは高価なので、僕は写真を使ってその感じを得たいと思い、友人を出演させて7枚の連続写真を撮った。野外公会堂の客席の向こうの林の中から男が現れて、手前に来て、再び去っていくという単純なナラティヴを試してみた。

サンセット
8ミリ・7分・サレント・1972年
根室を根城に正月休みに一週間いただけの釧路湿原。茫洋にして広大、水平線ばかり。単なる紀行フィルムにならないためにはどうしたらよいか? ひとつ気がついたことがあった。「この風景はいい」とシャッターを押すが、しかしシャッターを止める瞬間が判らないのだ。ここにムービーカメラの煩わしさがある。

セスナ
8ミリ・20分・サレント・1974年
国立映画アーカイブ所蔵(35ミリ)
小説家の仕事は随時次の展開(発想)を考えながら進めていく作業で一貫し、それがストップしたらタバコを吸うとか、散歩に出るという一時の行為を選択します。拙作全編コマ取りの「セスナ」撮影時も、1974年の8月まるまる1ヶ月そうして過ごしたことを蘇らせてくれます。

諸国
16ミリ・3分・1974年
男は、単に草むらに佇んで一服しているだけなのか、それとも高い丘の上に立って眼下に広がる土地を満足げに眺めている姿なのだろうか。いずれにしろこの男は、身体の中央からはかなく縦割りに二分される視覚的加工の憂き目にあったのだ。

DESネットワーク
16ミリ・17分・1975年
撮影地は、東京郊外の福生の米軍ハウスに住んでいる日本人の食卓の様子(A)と群馬県沼田駅前の風景(B)。Aは食卓から遠ざかるいくつかのショット(ブルーの単色)、一方Bは遠景から駅に向かう一筋の長い坂道を下る同じ数のショット(セピアの単色)。

テレビの中
16ミリ・6分・1979年
小さなブラウン管の形をした映像が多数集合して、あるひとつのテレビのスクリーン(ブラウン管)を埋め尽くしている。インサートされるのは真空管などのテレビの内部の雑然とした部品の数々である。それらが時に光ったりスパークしたりすると、スクリーン上のブラウン管映像は増幅したり消滅したりする。前作『DESネットワーク』が電波を連想させるとすると、この作品の連想の対象は電子だろうか。1980年にニューヨークのホイットニー・ビエンナーレで上映された。

UP-STAIRS
8ミリ・7分・1979年
撮影協力:加藤到
キリコの絵画から発想したイメージ。ここには人物は一切登場しないが、静的な画面のなかで唯一動いているのは、複数のテレビモニターのなかに繰り返し現れる上昇する旅客機である。その轟音を聞いて、キリコの絵の空中に浮遊する奇妙な物体や生き物を連想することはできないだろうか。この映画の舞台である日本間に、あらかじめ撮影されたモニターの映像を投影するなどのトリック撮影を試みた。遠近感のバランスが不均一な階上の空間。

7つのサイン
8ミリ・15分・1979年
撮影協力:加藤到
映像も音楽も小鳥の鳴き声も、すべてありもので構成された映画。何度か同じレコードを聞いてその曲が好きになるように、映画もそんな状況が作られないかと考えた。また、中世の宗教画やブリューゲルの絵画には、一枚の絵の中に様々な箇所で物語が含まれているのに対して、映画は何故かくも主人公に視点を集中させる作りになっているのかという疑問から生まれた映画でもある。借り物の素材ゆえに、プライヴェートな会のみで上映。そういえば、この頃ローリングストーンズの演奏練習風景を繰り返し撮ったゴダールの『ワン・プラス・ワン』も作られました。

チャンネル18(未完)
16ミリ・13分・1982年
撮影協力:竹林紀雄
夜間乗用車の室内から煌々と光るライトが照らされている。乗用車は停止し車の中にも外にも人の気配はない。撮影地は石神井公園や横浜のオフィス街、数人のスタッフとともに一晩で撮影され、その断片をつなぎ合わせた未完成作品。プロフェッショナルユースの高電圧バッテーリー・ライトを車に積んで撮影に臨んだ。

捜査
8ミリ・3分・1984年
福岡で毎年開催されるパーソナルフォーカス(8ミリの3分間映画作品集)に出品。対話と沈黙が交互に進行する。言葉の代わりに、奥山順市作品『映画・LE CINEMA』(1975)で使われた音のフレーズを少女Aは口ずさみ、蜘蛛に語りかける。やがて少女Aが沈黙の蜘蛛の死骸に耳をかたむけると、もう一人の少女Bが少女Aの耳を通して何かを聞き取ろうと試みる。「沈黙」の伝言ゲーム。

発火点(未完)
16ミリ・10分・1985年
湯に入る一本の足が印象的だったと知人は語っていたが、情けないことに作者本人は何を撮ったかも憶えていない。当然未完成。

フィールド
16ミリ・8分・1988年
出演:森理恵
ラジオ放送を想起したナレーションで綴る5片の断章。女性ナレーターは、心理学専門家が語るワンポイント・アドバイスや視聴者からの投書「記憶に残る光景」を読み上げ、さらに架空のラジオ小説の朗読、突貫レポーターの絶叫報告と、ひとりが声色を変えて五役をこなしている。

頭上の話
8ミリ・3分・1996年
出演:中島
3分間映画特集「パーソナルフォーカス」のために作られた映画。宙に吊るされた、かじられたリンゴを腕組みをして見上げる女。その仕草はニュートンの思いにふける姿を連想すべきか、それともリンゴを餌にして一本釣りを企む誰かの仕業か。自作『埋もれた話』(2003年)の原型となった。

埋もれた話
デジタル・9分・2003年
撮影:吉本直紀 出演:榮田絵美、中山広之 語り:山口俊明
歯型のついたりんご。そのりんごが落下する間の1秒ほどを超スローモーションで描き、束の間のエピソードが語られる。

FIVE DAYS
デジタル・52分・2003年
撮影:中島崇・吉本直聞 音楽:大谷健太郎(「Ostinato」より) 出演:半間正
2001年の自分のメモ的な日記から5日分を取り出し、それぞれに異なるアプローチから脚色を施した。日々は連続しているようでいて、断続した1日1日の集合であることを特にここでは強調してみたかった。その5日間には順に「ENTRANCES」「もののうらは白い」「教会の住人」「REMAKE」「ゼロについて」の副題がついている。2003年の山形国際ドキュメンタリーで招待上映。

公園に来る人々
デジタル・14分・2004年
撮影:中島崇、吉本直紀 出演:阿部千明、碓井信一、田中守人、井上智博、中山広之、野村昌宏、滝沢浩司、渡邊聡 英語版字幕:サラ・ティズリー
10月のある朝、新聞の地方版に載っていた小さな記事に眼が止まる。昨日の早朝、20代から30代の男性の死体が見つかったというのだ。その凄惨さとは裏腹に、事故現場から川を隔てた公園では能天気なアイドルマニアたちを集めた撮影会が開催されている。

時の探索––越後妻有アートトリエンナーレ2000より
デジタル・60分・2006年編集(撮影:2000年3月〜12月)
撮影:中島崇、能瀬大助 映像提供(PART 1):平舘圭輔 制作スタッフ:能瀬大助、藤岡朝子、小室菜月 制作協力:木田秀美(アートフロント・ギャラリー)、田中佐和子、川上浩三、半間正、森本桂  インタビュー(出演順):平舘圭輔、マリーナ・アブラモヴィッチ、農家の人々、池の管理人(半間正)、大工さん(金本第二、尾身忠治)、左官屋さん、建築技師、坂口寛敏、ホセイン・ヴァラマネシュ、景山 健、ロルフ・ユリアス、「夢の家」宿泊客、フィオナ・フォーリー、藤幡正樹 英語字幕:安澤秀太
この映画自体は、時間の中間の長さのなかで進行する。Part 1「4ヶ月前」、Part 2「直前期」、 Part 3「中間で」、Part 4「終焉」、Part 5「痕跡」の5部構成で、編集過程で提供されたPART 1の映像を含めて2000年3月から12月にかけて撮影された。2000年7月のはじめ、日本最大規模の屋外美術展が行われるという情報を知って、大地の芸術祭会場の新潟県妻有地区にビデオカメラを持って出かけたのが発端だった。

レベル1
デジタル・10分・2006年
撮影スタッフ:平舘圭輔、藤井由貴 出演:青木こむぎ、青木りんご ナレーション:ホリケン
地表下10センチに置かれたある男の視点を中心に展開する。荒野にぽつんと咲いた一輪の草花を擬人化して描いた、むかしむかしの私の短編小説がモチーフとなっている。身動きできない植物(そしてこの映画の主人公)が、限られた視界から周囲の状況を推測する。こうした状況下ではたいがい予想は大きく外れ、勘違いに近い出来事が周囲では起こっているものである。拙作『埋もれた話』(2003年)の続編として制作。             

レベル2
デジタル・10分・2007年
数年間のうちにスケッチ風に撮りためた俯瞰ショットの映像を中心にコラージュ風に組み立てた。極力音を使わず無音の純粋映像の世界が基調である。映像から音をどうイメージさせるか、そして数少ない音がきっかけとなって映像のモンタージュを作り上げていく試みである。

訪問者
ヴィデオインスタレーション・各5分ループ・2010年
Version 1「クレーン」 5分 映像・脚本:中島崇 出演(声):河内哲二郎
version 2「あなたは誰?」 5分 映像:中島崇 脚本:上林栄樹 出演(声):江口敦子
version 3「ムッソリーニ」 5分 映像:中島崇 脚本:上林栄樹 出演(声):小金井篤
version 4「川岸へ」 5分 映像:中島崇 脚本:鈴木章友 出演(声):鈴木章友
version 5「強制執行」 5分 映像:中島崇 脚本:上林栄樹 出演(声):猪熊恒和
各々1名の訪問者が家にやってくるという設定で行われた、台本が基調の5篇。それぞれをヴィデオインスタレーションで展開、主役は1つのインターフォンと声と1枚のスライド映像のみである。声はそれぞれ演劇界のプロを起用。留守の一室の演出に全力を傾けた。

次の人生を待機させる国––フィンランド調査の記録
デジタル・44分・2010年
制作:貧困と人権に関する委員会
貧困、人権、福祉に関する調査の目的で福祉国家フィンランドを訪れた、12名の弁護士を中心とする調査団の報告記録。1週間の滞在期間に、ヘルシンキを中心にフィンランド議会を含めて10の団体や施設を訪問し、それぞれの担当者から活動内容や福祉政策を拝聴した。

歓声
デジタル・7分・2012年
スカイツリーには二度足を運んだ。1回目はまだ100メートルぐらいの骨組みが出来たばかりで、感動というよりもむしろこんな巨大物が眼前に現れるのかと恐怖にも似た見物人たちの表情が見て取れる。2回目は完成間近の段階で、もはやどこの観光地にもいる穏やかな表情の人々の大群だった。同じ場に、全く違うタイプの2つの「チーム」が存在した事に気がついたのである。

遙か白熱光
デジタル・11分・2014年
スタッフ:武井大浩、田端志津子、松永祐樹、松川眞央 英語版字幕:アダム.J.サザーランド
太陽が昇る場所を探しに果てしない旅をする男。この中国の有名な寓話から遙か時を経た今日では、無数の電光が地表のあちこちできらめき、もしすべてがひと塊になればひょっとして太陽と同じぐらいのエネルギーを持つのかもしれない。しかしこれらの人工光は臆せずしてじっと居座り、昇る場所探しというロマンはここには存在しないのである。「三幅対」「寸前の光景」「叫び」の3つのパートから構成される。

ブロータースへの偽証
デジタル・1分/2分30秒・白黒・サイレント・2015年
スタッフ:阿部隼也、馬渡智治 キャスト:松永祐樹
この映画は、多摩美術大学映像演劇学科が企画したリュミエールプロジェクトに参加するために制作された。52秒、ワンショット、無音がこのプロジェクトの規約である。1分(本編52秒)のヴァージョンのほかに、2分30秒のヴァージョンがある。